宗徧流
宗徧流の流祖は、千利休の孫である千宗旦のもとで本格的に茶を学んだ山田宗徧です。宗徧は武家の出であり、高い教養と武道で鍛え上げた武士としての資質を持っていました。そのため、宗徧は茶の稽古だけではなく、薪割りといった力仕事や掃除などのあらゆる仕事を自ら行い、全身全霊で宗旦に仕えました。宗徧は、仏教に関する知識を含め、高い教養の持ち主であること、また一心に宗旦に従事したため、宗旦の宗徧に対する信頼は非常に厚く、二人の間には唯一無二の師弟愛が生まれました。入門して八年後、宗徧は、茶の湯をもって世に立つ決心をし、宗旦の侘び茶に魅せられた江戸幕府の老中・小笠原忠知のもとで茶頭として仕えます。宗徧は、小田原家四代・四十三年にわたって仕える間に、茶道史上初の、初学者向けテキスト「茶道要録」「茶道便蒙抄」「利休茶道具図絵」を世に送り出します。
当代家元は11世 幽々斎 山田宗徧 氏で、先代の逝去にともない、21歳という若さで家元になり、様々な試行錯誤と紆余曲折を経て、「家元制度」の重要性に気づき、点前の技を磨き知識を向上させることで、独自の指導法を完成させ、現代の宗徧流の魅力でもある「稽古」を国内だけでなく、ドイツ語と英語を話す妻とともに、世界中からゲストを迎え、宗徧流の茶道の普及に努めています。