武者小路千家
武者小路千家は、表千家、裏千家とともに三千家の一つです。 千利休の孫、千宗旦には四人の息子がいました。 そのうち長男を除いた三人が茶道を志し、それぞれ表千家、裏千家、武者小路千家を創始しました。最初に茶道を継いだ三男・江岑宗左(こうしんそうさ)が「不審菴(ふしんあん)」を継ぎ、表千家を創設。次に四男・仙叟宗室(せんそうそうしつ)が表千家の不審菴の裏に「今日庵(こんにちあん」を建立し、それが裏千家の由来となります。その後、次男・一翁宗守(いちおうそうしゅ)が表千家の不審菴と裏千家の今日庵から少し離れた「武者小路」という通りに茶室「官休庵(かんきゅうあん)」を建立し、ここに武者小路千家が誕生します。
武者小路千家は、表千家に近い精神を持ち、作法や所作においても表千家と武者小路千家は比較的似ており、細かい点にまでこだわりがあるといえます。似通っている二つの流派ですが、表千家に比べ武者小路千家はより自然で合理的な動きでお茶を点てることに重きを置いているように感じられます。また、千利休の「わびさび」の茶道に重点を置き、保守的な流派だとも言われています。
武者小路千家の特徴としてよく挙げられるのは、合理的であるという点と、所作に無駄がなく、自然であるということです。様々な面で表千家に近く、道具も伝統を大切にし、わびさびを感じられるシンプルなものが使われています。茶筌は紫竹製のものが使用され、帛紗(ふくさ)の色は、表千家と同様に女性用は朱色、男性用は紫色とされています。抹茶の点て方も表千家と同じくあまり泡立てません。
現在の当主は、第14代目家元 不徹斎 千宗守(ふてつさい せんそうしゅ)氏。当代家元の言葉として紹介されているのが、武者小路千家の大きな特色となっているのは、「柔軟性」であるということです。家元のお言葉をお借りして述べると、武者小路千家が現在までの四百五十年余の間、一貫して守り続けて来たのは、その時代毎の現実をしっかりと見据え、茶の湯に対して、世の人々の期待が何を向いているのかを汲み取り、その時代その時代に求められてきたものと古より伝えて来た道統を如何にして調和し、茶の湯の伝授の普及に努めようとしてきたことといえます。そのような柔軟性を持つ武者小路千家は「伝統とは革新の集積である」との信念を大切にし、現在に至っています。